あれから28年 元気で美しい神戸 「阪神・淡路」
いつもお世話になっております。
株式会社ツボイ営業部です。
28年前の早朝、私は岡山市内の実家でベッドから振り落とされるような揺れで目を覚まし、頭上に
あったラックからバラバラと落ちてくるCDから身を守りました。
「何が起きたん?」
徐々に見えてくる報道からの惨状に悪い夢を見ているような感覚になったことを覚えています。
ご縁あって、当時AMDAさんの声掛けに参加させていただき、岡山県各所で集まった救援物資を積んで
市役所職員さんらと神戸市長田区の長田区役所を目指してトラックを走らせたのは、震災から数日後。
お隣の県なのに5時間くらいかけて道路が比較的「まとも」なところを選んで走っていたのを覚えてい
ます。 19時頃に岡山市を出発。途中、備前市に立ち寄り大きなお盆にいっぱいのったおにぎりや、
救援物資を積み込み、長田区に着いたのは深夜1時頃。(ちょっと詳細時刻の記憶、曖昧です)
そして、着いた先には...、大きく傾いた阪神高速道路。暗い街並み。よく目を凝らすと崩れた建物が。
なんとか区役所に到着するも建物に入る階段が大きく割れて、そのクラックを飛び越さないと区役所に
入れない。また、その廊下、いやその手前の屋外にも多くの人が薄い毛布に包まって虚ろな表情で佇ん
でいる。。。最上階まで階段で登ると窓からはいろんなところからまだ煙が、焚火の炎を反射して見え
ていました。しかし、その最上階では多く医大生や当時同年代の若者が、ネットワークを駆使して救援
活動をされていました。夜が明け始めるころから、食料を配布し、その後、近隣の公園を巡っては物資
を下ろして声をかけて。途中、水分補給の為休憩していると、隣の土地で崩れた屋根の上で、下の向い
て「お父さん~、お父さん~」と探されているご家族を目の当たりにして、悲惨さを更に強く感じたの
を覚えております。
その後、「頑張ろう神戸」のスローガンの通り、素晴らしい復興を遂げられ、兵庫県の方の強さ、この
土地に生きるヒトたちの元気に感動し、神戸は私の、いや私の家族の大好きな場所となりました。
年に何回も遊びに行き、ムスメも神戸の大学に進学させていただき今や3年生。神戸の方々にお世話に
なっております。
忘れられない、忘れちゃいけない、現実、思い出、教訓。
失われた多くの尊い命。辛い別れ。
28年経っても私たちはしっかりと抱えて生きていきたいと思います。
それが何よりも弔い、鎮魂に繋がることだと思います。
元気で美しいマチ。大好きなマチ。
本日も穏やかで健やかな一日でありますように。